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慶應義塾大学 日吉音楽学研究室

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■ヘンデル《メサイア》 全曲演奏会
慶應義塾大学コレギウム・ムジクム アカデミー声楽アンサンブルと若手エキスパート演奏家によるコラボレーション企画

演奏者変更のお知らせ
本公演で、演奏をを予定しておりました隠岐彩夏 (Soprano) は、体調不良のため残念ながら当公演での演奏はできなくなりました。 変わりまして、清水梢が演奏いたします。お客様にはご理解いただけますようお願い申し上げます。


ソロ:清水梢 (Soprano), 上杉清仁 (Contra Tenor), 田口昌範 (Tenor), 中川 郁太郎 (Bass)
オーケストラ:慶應《メサイア》プロジェクトを支える特別オーケストラ
Vn: 原田陽 (concert master) 廣海史帆 山内彩香 堀内由紀 高橋奈緒 廣末真也, Vla: 成田寛, 渡部安見子, Vc. 山本徹, 小林奈那子, Cb 櫻井茂 , Oboe: 森綾香 小野寺彩子, Fag: 永谷陽子, Trumpet: 斎藤秀範, 野田亮, Tympani: 村本寛太郎, Cem. 山本庸子, Org 根本卓也 合唱:慶應義塾大学コレギウム・ムジクム「アカデミー声楽アンサンブル」
指揮 佐藤望
2018年2月6日(火)18:30開演
17:30開場
プレトーク「ヘンデルの《メサイア》が語るもの」17:45 より
第2部19:15開始予定(「ハレルヤ・コーラス」を含む第2部からでもご入場いただけます。)
場所:日吉キャンパス協生館 藤原洋記念ホール
入場料:2000円(全席自由席)
チケット:セブンチケット(セブンイレブン店頭マルチコピー機、または7ticket.jp)、イープラス eplus.jp にて発売中
主催:慶應義塾大学教養研究センター・慶應義塾大学日吉音楽学研究室
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チラシ

ヘンデル《メサイア》と今回の演奏について
佐藤望

ヘンデルの生涯と《メサイア》の誕生
 《メサイア》(救世主)は、イエス・キリストの誕生・死と復活・救済と命の約束を、旧約聖書と新約聖書の両方の抜粋の歌詞によって綴った壮大な作品です。
 ヘンデルは1685年、奇しくもかの大バッハと同じ年に、ドイツの小都市ハレで生まれます。その後ハレを離れ、通商で経済的に潤った国際的大都市ハンブルクに移住してオペラの演奏・作曲活動を始めます。1706年からはイタリア各地をめぐり最新のイタリア・オペラの作曲法を身につけていきます。そして1711年オペラ《リナルド》によって、音楽の一大消費地であったロンドンで、華々しいデビューを果たします。
 イタリア・オペラ人気に乗ってヘンデルはその後ロンドンに拠点を移し、多くのオペラを書き続け、1727年にはイングランドの市民権を得ます。しかし、ロンドンの人々にとって外国語であるイタリア・オペラのブームは長続きせず、1728年にジョン・ゲイによる《乞食オペラ》という、より娯楽性の強い英語による音楽劇が大人気を博すようになり、聴衆はヘンデルから一気に離れていきます。1735年に彼のオペラ座は巨額の借金を抱えて最終的に破産してしまいます。極度の鬱状態を煩い、体力的にも限界だったヘンデルは、ドイツでしばらく静養の時を過ごすことになりました。
 彼は療養からの復帰後もオペラを書き続けますが、実際にはかつてのような上演回数を続けることは経済的に難しくなります。療養後に書いたキャロライン王妃のための葬送音楽がおそらくきっかけとなってか、彼は宗教音楽の作曲家として再び名声を博するようになり、その後オペラ作曲家から、「オラトリオ」と題する聖書物語に基づく、演出・演技、舞台装置を伴わない劇音楽の作曲と演奏へと、ヘンデルは軸足を移していきます。これらの作品の上演、コンサート運営によって、ヘンデルの経済状況、健康状態は次第に復活を遂げます。
 新しい人気を捉え、オペラ座を大成功させる(そして破産させる)というビジネスマンとしての側面をもっていたヘンデルは、その経験を自分だけのものとしませんでした。ロンドンの音楽家たちが自立して生活できるよう基金設立のために、コンサート協会(ロイヤル音楽協会)を設立して、王侯や貴族、教会の直接雇用のみに頼らない独立した音楽家の活動支援も続けて行きます。
 ヘンデルは、アイルランドの総督から、ダブリンで孤児や、貧しい病人、借金を返せず収監された人たちのための慈善コンサートを依頼されます。そのために誕生したのが、オラトリオ《メサイア》です。1741年に作曲され、1742年に同地で初演されます。翌年、1743年にロンドンでも演奏されました。《メサイア》は1750年以降、ロンドンのファンドリング・ホスピタルという慈善事業会で、定期的に演奏されるようになります。その後継団体は今日も存在し、ヘンデル時代のオリジナル演奏譜を所有しています。

《メサイア》の魅力
 《メサイア》は、ヘンデルの死後も各地で途切れることなく演奏され続けた作品です。バッハの音楽のほとんどが彼の死後一旦完全に忘れ去られ、19世紀になってからメンデルスゾーンなどによってリバイバルするのとは対照的です。モーツァルトは、1777年にマンハイムで初めてにヘンデルの《メサイア》を聴き、後にクラリネットや多くの金管楽器を含む彼の時代のオーケストラ編成にあわせて、ドイツ語の訳詞でこれを編曲して演奏しています。19世紀以降もヨーロッパ、北米で人気を博し、演奏され続けています。
 日本では、昭和初期から演奏の記録があり、戦時中に敵国言語の英語による音楽の演奏が禁止された時期を除き、盛んに演奏され続けています。数百年に渡り、これほど頻繁に演奏され続けた音楽作品は、西洋音楽全体を見渡しても、非常に珍しいと言えるでしょう。  音楽に関わる人、特に声楽や合唱音楽に関わる人は、誰しも《メサイア》に関わる思い出をひとつやふたつ持っていることでしょう。今日の指揮を担当する私は、1979年、当時まだ軍事政権下であった韓国に、市の少年少女合唱団の派遣で出かけ、ソウルの世宗文化会館で韓国の少年少女たちと、生まれて初めて生で見るパイプオルガンの伴奏で「ハレルヤ」を歌いました。その時、ソウルで一番大きなホールいっぱいに集った韓国の方々の熱狂は今でも忘れられません。  この作品が特別な理由のひとつは、あらゆる境界や限界を超えようとするこの曲のパワーだと思います。それはヘンデルが非常に国際的経験豊かだったことだけでなく、《メサイア》が、どん底の挫折を味わい、そこから這い上がった作曲家が書いた音楽であることも、少なからず関係しているでしょう。実際、ヘンデルは巨額の富を築いて亡くなったことが分かっています。しかし、それは挫折の後自らの音楽を自分の名誉や栄光だけのためでなく、他者に尽くし、まごころをもって音楽を書き続けた結果とも言えます。
 《メサイア》のなかには、彼が人生で味わった喜び、悲しみ、怒り、絶望、希望、嘲り、憎しみ、慰めと癒やし、安らぎ、感謝といったあらゆる感情や思いが、しばしばエキセントリックあるいは、常軌を逸したとも言える表現で描かれています。《メサイア》が初演されてから現在まで277年の間に、これを演奏し、聴いてきた人々は、自らの人生のさまざまな場面で味わってきた思いと重ね合わせながら、感動と希望、勇気を与えられてきたのだと思います。

今日の《メサイア》の演奏と稿の選択について
 《メサイア》の楽譜には、いくつかのヴァージョンが残っており、どのかたちで演奏するかは、この曲を演奏する際に、常に問題となります。ヘンデルの時代に、メサイアがどのように演奏されたのか、ヘンデルが最終的にどのかたちを意図したのか、という研究は、今日非常に進んできました。そこから、分かることは、各回の演奏で得られるオーケストラのサイズや、歌手たちにあわせて、ヘンデルがさまざまな書き直しをしているということです。おそらく演奏の現場でも多くの改訂や、その都度の判断があったに違いありません。
 ですから、今日の演奏では、何年版で演奏するというのではなく、今回演奏してくださるすばらしい歌手、楽器奏者の皆さんがどのような演奏をしてくださるかをイメージしながら、稿の選択をしました。例えば、14番後半のソプラノの通奏低音アリア「見よ、主の天使らが」は、当時の大人気女優・歌手だったキティー・クライヴのためにヘンデルが書いた稿を選択しました。これは今日ではほとんど演奏されない珍しいものです。52番「神が私たちのために」はソプラノの演奏が一般的ですが、ヘンデルは通常をアルト歌手に歌わせており、その際歌手は高すぎる部分をオクターヴ下げて歌っていたようです。完全にアルト用に移調した楽譜も二次資料に残っているので、今回はそれを採用しました。そして、36番「あなたは高き天に昇られ」と今述べた52番にソロ・ヴァイオリンを使い、また一部の曲で合唱やトランペットの歌う位置を変えて、藤原洋記念ホールの音響を活用しつつ、またヘンデルがもっともっと書きたかっただろうオペラで行われた演出表現も、少しだけ実現してみたいと思っています。

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